住友建機株式会社SUMITOMO

米嶋銘木株式会社(京都府)

次世代への
美林創造を目指し

「京都府伝統産業品」に指定される北山磨丸太を生産

 米嶋銘木株式会社が所在する京北地区は、ノーベル賞作家である川端康成の小説「古都」の舞台としてよく知られている北山杉の生産地です。周囲には急峻な山が連なり農業に適した平地も少なく、市街地に近いため地区の人々は平安期より高名な寺院をはじめ京の町に木材を供給することを生業としてきた。

 先人たちは京町屋で垂木材として使われてきた丸太を効率的に生産し、付加価値の高い良質の素材へと変える努力を惜しまず、その努力は安土桃山期に報われることになる。北山杉から作られる北山磨丸太を絶対的な存在にしたのは千利休である。千利休以降「茶の湯文化」をたしなむ人々が北山磨丸太を茶室や数寄屋における建築材として頻繁に用いたからである。その後、何百年もの年月、和風建築の変遷にあわせ、真摯に愚直に改良を重ねた成果として現在の北山磨丸太は存在している。

 北山磨丸太に関しては、その生育や生産の独自性から古くから大学などの研究者の対象となり著された文献も多いので詳細はそちらに委ねるとして、その特徴や生育のご苦労を古くからの山林家であり、北山磨丸太の生産者である米嶋銘木株式会社の米嶋昌史代表取締役にお話を伺った。

「弊社は私の父の代、昭和47年に個人事業として発足し、令和2年の7月に法人化いたしました。現在社員は4名、役員は私も含めて3名です。年間の素材生産は約1,000㎥です。北山磨丸太に関しては年間約2,000本を生産しています。近くでもう1か所北山磨丸太を扱っている組合があり、そちらと合わせて北山地域全体の生産総数でも25,000本ほどだと思います。北山杉も北山磨丸太も京都の伝統工芸品であり、「京都府伝統工芸品」や「京都市伝統産業品」の指定を受けています。「北山磨丸太」は「北山杉」とともに地域団体商標を取得しており、北山磨丸太には一本一本に通し番号の入ったシールを貼り、品質を保持することによりブランドとしての価値を守っています。

 ただ、北山磨丸太を扱う生産者は年々減少しています。最盛期には120社を超えていたのですが、現在は27社です。ほとんどが従事者の高齢化による廃業が理由ですが建築のトレンドが変わって需要が減少したことも大きな要因だと思われます。昭和50年から平成の初頭が最盛期でしたが、当時建築された観光ホテルや旅館、あるいは個人の住宅には和室があり床の間があったことを思い出せる人は多いと思います。そしてその床の間には北山磨丸太の床柱がセットで存在していました。高級な床柱を立てることがトレンドでありステータスの時代でした。

住友建機の高性能林業機械で、特殊な材を守り続ける

 北山磨丸太の概略をお話すると、北山磨丸太は杉本来の性質を抑制して作る特殊な材です。細くて長いものを作ることに特化しており先人たちが考案した方法を受け継ぎながら、今も試行錯誤し改良を重ねています。まず細く長く真っ直ぐに成長する形質の遺伝子を持った木の枝を挿し木して育て1haに5,500から6,000本を密植します。密植によってそれぞれの木を競いあわせて上向きの成長を促します。3、4年に一度、節目の残らない独自の方法で枝打ちを重ね、生育年数として約30年から40年。直径が末口12cm程度、元口との差はできる限り少ない円筒状のものを選び基本3mで玉切りし、冬期に杉皮を水圧で剥いた状態で磨きあげます。白い木肌のきめが細やか、無節で傷のないものが基準とされています。

 明治期に突然変異で表面にコブ状の凹凸のある「天然出絞」の品種が発見され珍重されたので、その後大正期にはその「天然出絞」の特徴を人工的につける「人造絞り」の技術が開発されています。高性能林業機械は2012年に森林経営計画制度のスタートをきっかけに導入しました。

 現在の所有数はハーベスタ(KESLA)1台、フェラバンチャザウルス1台、グラップル2台、フォワーダ1台です。ほとんど住友さんから導入したものですが、機械に関しては操作性、安定性、パワー、メンテナンスなどすべての点で満足しています。

 90歳にならんとする私の父と60歳を過ぎた私と30歳の息子が、同じザウルスを使って同じ仕事をできることが高性能林業機械のすごいところだと思いますね。

 建築のトレンドに影響され、現在では北山磨丸太の需要が減ってきていますが、何百年も受け継ぎ作り上げて来た、美しく優れたものを自分の代で終わらすことはしたくない。北山杉の美しい森の風景を、美しい北山丸太を作り出す喜びを次の世代に、私が伝えなければならないと思っています。」

レポート:北近畿支店 木下 明洸

丸太の天日干し、「磨き丸太」の製作