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安藤優子

日本人が想像力と誇りを手にしたらこの国は変わるはず
先の参院選挙速報では進行役を務めた安藤優子キャスター。スタジオでは当落の結果に興奮さめやらぬ党の代表者たちが代わるがわる登場する。生半可な進行ではとても番組をまとめられない。
与党陣営から「結局ね、野党のひがみなんじゃないですかね」と辛らつな言葉があがっても、安藤さんは同時中継でつながる民主党幹事長に一言さらりと言ってのける「菅さん、ひがみだそうですよ」
歯切れのいいコメント、キャリア女性のイメージをそのまま具現化したかのような安藤キャスターだが、意外にもこの業界に入った当初はいやいやながら取材に出かける毎日だったという。


本当はホテルマンを目指していたんです

「本当は私、ホテルのマネージャーになりたかったんです」

当時大学生の彼女は、ホテルのマネジメントを学ぼうと2度目の留学費用を捻出するため、デパートのエレベーターガールとしてアルバイトに励んでいた。そんな彼女に可能性を見いだしたのはホテル界の人間ではなく、テレビ局のプロデューサー。外国人のお客様と巧みな英語で会話をする彼女を見初めてのスカウトだった。

「アルバイト気分でついついリポーターを引き受けてしまったんですが、もう嫌で、嫌で。学生ということで時間も体力もあるから、1ヵ月くらい平気でヘンピなところに放り込まれるわけですよ」

ヘンピな場所というよりも当時の彼女は、世界の歴史が動く極めて重要な現場に派遣されていた。東西の冷戦構造が今まさに壊れようという「連帯」発足当時のポーランド。東欧の社会主義政権崩壊のきっかけとなったマルコス独裁政権終焉時のフィリピン。その激動とも言える世界の地で彼女は果敢にも要人たちへマイクを向け続けた。しかし、安藤キャスターは当時の自分を「報道の意味をお仕着せでしか理解できていなかった」と振り返る。

「ワレサ委員長にインタビューをした時も、ものすごいインフレで食べるものさえロクにない。今考えると恥ずかしいばかりですが、プロデューサーに『日本に帰りたい』とか『お寿司が食べたい』なんて悪態をついていたほどでしたよ」

それがなぜ、この道をここまで極めることになったのか?

「私、だいたい負けてやめるのが嫌なんですよね(笑)。やめるのなら自分自身で納得のいく仕事をしてやめたかった」

今でこそ、常にパスポートを鞄に忍ばせ、事件があれば現場に駆けつけようという安藤さんだが、当時の彼女を支えたのは、報道という仕事への情熱ではなく、生まれ持った負けん気、それだけだった。

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